tayutaum
卒業制作についての話。
この作品については意図的に考えるのを避けていた節があるのですが、5年以上経ってなんとなく手が離れてきた感があります。というわけで、自分なりになんとなく解体してみたいなあと。
まずは作品の背景について。
「抑圧と解放」についての考察のための作品だったのですが、正直ものすごく消化不良に終わってしまった。
そもそも入学時から体の不調がすさまじく、大学に通うのすらままならなかった時期が長かった私です。
病気三昧だったのがやっとゆるやかに回復してきて、初めて作ることができた作品でした。
ある意味その状況を端的に描きたかったのだと思います。自宅で寝てるばかりで体が動かず、絵も描けず、悔しい思いをしながら進級してしまって、でも大学4年生だけは奇跡的にものすごく楽しかったんですよね。日中に体が動く。授業に出れる。絵も少しずつだけれど描けるようになってきた。
今までの人生が嘘のように楽しくて、その事実にびっくりしてしまって作ったようなものです。 それでもなかなか思うようには描けませんでした。でも、卒業制作の締切は待ってくれません。本当の本当に最後のチャンスで作れなければ、多摩美に入った意味とは何だったのか?という焦燥感に押される形で生み出しました。卒制でなければ完成することはなかったでしょう。
あとはもう一つあって、ICAF(Inter Collage Animation Festival)に是が非にでも出したいというモチベーション。
私が短編アニメーションの世界を知ったきっかけが、高校生の時にたまたま訪れた学生アニメーション映画祭のICAFだったのです。
加藤久仁生さん、田中紫紋さん、森田修平さんのトークショーがとにかく衝撃で。当時タマグラアニメの教授であった片山雅博先生と、片山先生と仲のいい中島信也さんとの掛け合いはまるで漫才のように楽しいものでした。
「広島アニメーションフェスティバル」という単語を初めて聞いたのもこの時です。
トークショーを聞く中で、「私もそっちへ行きたい」と思ったことを覚えています。あんなに胸が高鳴ったのは後にも先にもこの時が一番じゃないかと。
憧れの気持ちともまた違って、なんというか、「そこに行けばきっと息ができるだろう」ということが容易に想像がついたのです。不思議と。
その根拠のない確信が、間違いではなかったと冷静に受け止めている今でも思います。
今現在、映画祭に足繁く通ったり、藝大に入ったことにも繋がる話なのだと思います。
この話はまたおいおい掘り下げていけたら。
多摩美に入った意味と、ICAFに出したいという気持ちだけに縋って完成させた作品がtayutaumです。
回復しきっていないこの体で、100%の力を出すことが出来ないのに、作る意味なんて果たしてあるのか。という気持ちと闘いながら、それでも、と。
出来上がった作品を愛すことは、どんなに時間が経ってもできません。憎む気持ちもないですが、愛すことはできない。
初めからその覚悟を持って作ったものなので、それはそれでいいのだと思っています。
だから、ICAF以外の映画祭などに出すことも許しませんでした。上映の機会も自分からは決して設けません。
これがこの作品に対するけじめみたいなものだと勝手に思っています。作品に対するというか、自分に対するというか。
渦中にいた私にとっては、どのように苦しかったか。どのように救われたか。を具体的に描くことはどうあがいてもできなかったなあ。と、今改めて見ると…表層的な部分だけしか描けなかったがゆえに言いたいこともぼやけ、着地も定まらず…と何かと反省点が多い出来に終わりました。単純な作画の話で言っても、メインの一番弾けるところでの力尽き感が否めないですね。これもまた反省点。
力不足というよりは、あの時の自分にとってはどう頑張ってもどだい無理な注文だったのです(よく完成したなあ…)。
思い出話はこんなことろで、作品の内容についても一応。
当時は絵コンテの描き方もよくわかっておらず、どう作っていいのかも手探りで、正直ノリで作ったとしか言いようがないので難しいのですが…(これがあって作り方が知りたくてアニメーターになったようなもの)
それでも簡単に言うと、実は登場人物が3人いるというのがミソです。
暗いところに閉じこもっている自分(暗い中で蹲る子)と、それを守護する自分(白い空間の子)と、それを外側から見る自分(湖の子)。という感じ。
または、過去、現在、近未来の自分と言ってもいいのかな…自分でもよくわからない。
自分の心の中には何人も自分がいて、自分の姿を眺めている感覚みたいなものをなんとなく描きたかったのだろうなと。
まったく同じ姿なので紛らわしいのですが。というか、まあ、紛らわしいのはわざとなのですが。そこの説明はしたくなかったので。
当時は、頑なに、どうしても、自分の心を開いて他人に開示するのが嫌でした。
「一体自分の何が誰にわかるんだ。」という、怒りに似た気持ちが強すぎました。誰一人にも理解されたくなかった。
だから本当は作品を作っていいメンタリティじゃなかったんですけれども…
なんとなーく綺麗なビジュアルでごまかして、そういう気持ちを完全に隠して作るだけ作った。
暗い中で過去に縛られて眠っていた子が、ある日やってきた鳥を追いかけて1段階殻を破ります。
外側で眺めていた自分と融合して、最後鳥になったあとどこかへ飛び立っていくわけですが、実は一番最初に戻っている…というのは、授業で自分の作品を何度も考える機会を得て気がついたことです。それまでは、どこかわからないところへ飛び立っていったなーくらいに思ってました。
そうではなくて、ああ、そうか、過去の自分を引っ張り上げに行ったんだな。と。
この作品は、自分で自分を救いにいく話だったのだなーと今更ながら気づいてちょっぴり動揺しました。
当時、そこではじめてスタートラインに立てるんだなとぼんやり思いながら作ったことは覚えているのですが…
殻を破ったあと、どうしたいか、どうなるのかは、本当に想像がつかなくて、ラストがどうしても描けなかったのですね。
自分の中で本当の意味で「作品」と呼べるものが作れるのは、この作品を経た上でじゃないとありえなかったのです。
誰かになにかを伝えるためではなくて、自分をどうにかするためにしか作ることができなかった作品です。
誰にも見てほしくないけど、抱えていたくもなくて、ネットにえいやっと流して終わりにしたという。
自分の中のどうにもできない怒りを鎮めて、自分の足で立って生きることができるまでに5年かかりました。
今ならやっとほんとうの意味で作ることができる。
受け入れるにはずいぶんと長いことかかりましたが、それでも必要な作品だったというのが複雑なところ。受け入れたくないけどまあ仕方ない。
解説になってるのか謎だなあ・・・とりとめはないですが、そんなところです。