M1 Record・1


まず1年次制作の企画案は2つに絞りました。

実はこの他にあと3つほど案はあったのですが、条件に適したもので絞った末このような結果に。

2分を約3ヶ月ほどで作らなければならないという制約の中、できることは限られます。

ちなみに、これを提出したのが入学直後の4月なので、すでに4ヶ月が経とうとしています…その間いくつもの演習などをこなしていたので、だいぶ時間が経ちましたね。中間発表などもあってだいぶ進めているので、おいおいまとめていきます。

修了制作まで通して、自分が通り抜けてきた無視できない経験についての感情の動きを表現したいと思ってます。

そして、そのことで自分をきちんと掬い上げて、その先にちゃんと進みたいなあと。

そういうトラウマ克服的なことは学校でやらずに自分の個人の制作でやってくれとの声もあるにはありますが、それって相当キッツいよな〜と。それこそ、社会の中で作るのに、個人の内的な積年の思いをぶつけるのはもはや苦行に近い。

指導を受けながら作品制作を進めることのできるというのは、そういった危ういテーマを取り扱うにはある意味適してるのではないかと考えます。(指導する側にとっては堪ったもんじゃないかもしれませんが!)

家庭や学校の場でいろいろもあったけれど、それ以上にわたしはずっと自分の中で大きな孤独のような気分を抱えてきました。

まあ孤独なんて人間誰しもが大なり小なり抱えているものだし、当たり前の存在ではありつつ、ずーっとそのことが頭を占拠しているわけでもない。

ただ、わたしがここまでこだわってしまうのは、思春期にあたる時期に、他人との圧倒的な断絶を感じることが多すぎたことが起因しているのだろうと考えています。他人なんかとうに諦めて、自分の中にあるものだけに支えられて生きてきた。描きたい絵作りたい光景のためだけに生き延びたようなもので、通過してきた環境は自分の中ではなかなか難しいものがあったのです。

しにものぐるいで高校生活を乗り越えて、美術大学に入って初めて、やっと「言葉が通じる」と思うことができて、今では感覚を共有できる友人も少ないながらこの世に存在しています。割に孤独ではなくなりました。ヒリヒリ感じていた時期とはまったく状況は違う。

「同じ日本語を話しているはずなのに、どうしてこんなに言葉が通じないんだろう?」と思ってました。当時は。

他人と居る時が一番寂しいなと思っていた。帰る家がないし、行くところもない。具体的に何が起きたからどう、というよりは、複合的なものでした。誰が悪いわけじゃなくて、ただただ自分に居場所が存在していないだけでした。

当時から、大人になればなるほど、齢を重ねれば重ねるほど、生きやすくなるのだろうなあとぼんやり思っていました。

実際問題、年を取れば取るほど体は軽く、息がしやすくなっていっています。体力は落ちていきますけれども。

ヒリヒリしていたあの頃と違うからこそ、やっとわたしは作品を作ることができます。

あの頃では生き延びることだけで精一杯で、とてもじゃないが難しかった…卒制はその犠牲になったのだと。それが本当に悔しくてならない。

さて、では、何があったのか?わたしは何を感じて生きてきたのか?解体していこうというわけです。

こんなモチベーションで果たしてどんな作品が生まれるのか、自分自身も謎でしかない…

本当に終わるかも自信がないのです。

そりゃあ何年間もひっどい体調でそのたびに自分自身に裏切られ続けてきたので・・・

今度こそ、今度こそと祈らずにはおれません。

完成しますように。